パスツールは何を発見したの?細菌学者の生い立ちや名言や年表を紹介!

フランスのルイ・パスツールは細菌学の基礎を築いた科学者です。

どんな発見をし、どんな業績を上げたのでしょうか?

子供にも分かりやすく説明します。

・パスツールは何を発見したの?

・パスツールの生い立ちは?どんな子供だった?

・細菌学者パスツールの名言を紹介!

・パスツールの年表を紹介!

などに焦点を当ててご説明します。


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パスツールは何を発見したの?

パスツールは細菌学者としてどんな発見をしたのでしょうか?

1つずつ見ていきましょう。

パスツールがワインのすっぱくなる悩みを解消した

フランスのリール大学理学部の学部長になったパスツールはリールで製造が盛んだったワインが時々すっぱくなって困っているという話を聞きました。

パスツールの専門は化学でしたが、人々の役に立ちたいと思い、その原因を調べる研究を始めました。

実験を続けたパスツールはワインがすっぱくなってしまう「ワインの病気」の原因が乳酸菌であることを突き止めました。

 

そして、様々な条件で実験を繰り返した結果意外な弱点を見つけます。

それは摂氏50~60度という低い温度で30分から1時間温めるだけで、菌は活動をやめてしまうことに気づくのです。

 

この方法を「低温殺菌法」と呼ばれ、現在でも飲食物の殺菌法に応用されています。

パスツールが予防接種を開発した

パスツールは微生物によって引き起こされる病気の研究を始めました。

どうやって発見したのでしょうか?

ニワトリだけがかかる「ニワトリ・コレラ」という病気で大量のニワトリの命が奪われ、農家を苦しめていることを知り研究を始めます。

ニワトリ・コレラ菌の存在はモリツによって発見されていたので、まずニワトリ・コレラ菌を作り、それをニワトリに注射して病気にかからせて研究を続けました。ニワトリの命を考えるととてもかわいそうですが、こうしないと研究は進まなかったのです。

ある日、作った菌をニワトリに注射してもニワトリは倒れずちょっと体調を崩す程度で回復したのです。助手たちはダメになった菌を使ってしまったと思いましたが、パスツールだけは違いました。すぐに強い菌を回復したニワトリに注射したのです。

するとどうでしょう?ニワトリたちは倒れるどころかケロリとしてエサを食べています。

これがワクチン発見の瞬間でした。

ニワトリたちは弱った菌の注射によって病気に対する免疫を作っていたのです。

その他にもパスツールは狂犬病やたんそ病のワクチンの開発に成功しています。

パスツールの生い立ちは?どんな子供だった?

1822年、パスツールはフランス東部の街で皮なめし職人の息子として生まれました。

子供の頃は特にずば抜けて学校の成績が良い訳ではありませんでした。

また、理科が大好きという訳でもありませんでした。

しかし、その才能を見抜いた先生からパリの高等教育を受けるように勧められます。

貧乏ではなかったものの、パリの高等教育を受けさせるのは、大変な苦労がありました。

 

また、子供の頃からパスツールが見てきたのは狂犬病にかかった犬にかまれた子供などが病院にかつぎこまれ、当時は治療法がなかったので、熱した鉄を押し当てて傷口を焼く方法が用いられていました。

苦しみの叫び、子を救おうとする親の切実な願い、その思いもむなしく誰も救われることのない悲惨な状況を見て育ったパスツールの今後に大きく影響してくるのです。

 

このような状況からパスツールはがりべんになりました。全身全霊を打ち込みわき目も振らずに勉強に没頭することになるのです。


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細菌学者パスツールの名言を紹介!

 

偉大な人々は目標を持ち、
そうでない人々は願望を持つ。

 

準備を怠るものには、
チャンスは決して訪れない。

 

私が目標を達成できた
秘訣を教えよう。

それはね、
絶対にあきらめないことだよ。

 

幸運は用意された心のみに宿る

人に名誉を与える職業があるのではなく、むしろその職業を名誉と思う人がいるのである。

 

偶然は準備のできていない人を助けない。

ルイ・パスツール年表

1822年

12月27日、フランス東南部ドールの皮なめし職人の家に生まれる。

1842年(20歳)

パリの高等師範学校に22人中15番の成績で合格するが、この順位に満足せず入学をとりやめる。

1843年(21歳)

もう一度受験し、こんどは4番の成績で高等師範学校に入学する。

1848年(26歳)

酒石酸とパラ酒石酸の結晶のちがいを発見し、論文を発表する。

1849年(27歳)

ストラスブール大学の化学講師となる。学長の長女マリー・ローランと結婚。

1854年(32歳)

リール理科大学の化学教授と理学部長に任命される。

1856年(34歳)

フランス学士院選考会に落選する。アルコール製造業者にたのまれ、醗酵(はっこう)の研究をはじめる。

このころ、醗酵が化学反応であるか、生物反応であるかをめぐって、リービッヒと対立。1860年までの間に乳酸醗酵、アルコール醗酵がそれぞれ乳酸菌・酵母菌によって引き起こされることを発見。醗酵は微生物による生物反応であるとした。

1857年(35歳)

母校である高等師範学校の教授となり、理学部の部長をつとめる。

1859年(37歳)

自然発生に関する研究をはじめる。

1862年(40歳)

プーシェの微生物自然発生論を「白鳥のフラスコ」を使った実験によって否定。学士院の会員に選ばれる。

1863年(41歳)

美術学校の地質学、物理学、化学の教授になる。

1864年(42歳)

ワイン醗酵の実験をおこなう。

ワインの腐敗をふせぐ低温殺菌法(パスツーリゼーション)を開発する。

カイコの伝染病についての研究をはじめる。

コレラが流行り、パリでも多くの人々が亡くなる。

1867年(45歳)

ソロボンヌ大学の化学の教授に就任する。

1868年(46歳)

脳卒中でたおれ、左半身がまひする。

1870年(48歳)

『カイコの病気についての研究』を発表する。

1871年(49歳)

ビールの研究をはじめる。

1876年(54歳)

『ビールに関する研究』を発表する。上院議員に立候補するが、落選する。

ドイツのコッホが炭疽病を観察し、「伝染病は特定の細菌によっておきる」という論文を発表する。これはパスツールも考えていたことだった。

1877年(55歳)

炭疽病の研究をはじめる。

1879年(57歳)

ニワトリ・コレラの予防研究から弱った病原菌がワクチンとして使えることを発見する。

1880年(58歳)

狂犬病の研究をはじめる。

1881年(59歳)

炭疽病のワクチンの開発に成功し、羊を使った公開実験をおこなう。

1885年(63歳)

7月、9歳のジョセフ・メイステルに狂犬病のワクチンを接種。歴史上初めて人への狂犬病ワクチン接種に成功する。

1886年(64歳)

パスツール研究所設立のための国際的な募金活動がはじまる。

1888年(66歳)

パスツール研究所完成。初代所長となる。

1894年(72歳)

パスツール研究所がジフテリアのワクチン製造に成功する。

1895年(73歳)

9月28日、永眠。

パスツールのお墓はどこにあるの?

パスツール研究所の地下げ埋葬されています。

まとめ

パスツールは年表でも書かれているように、炭疽病の研究をしていたころに脳卒中で倒れ、左半身がまひしてしまいます。

フラスコを左手につかむとき、まず右手で左手の指を激痛に耐えながら一本ずつ開き、つかんでいました。

 

次々に研究者の論文をくつがえす論文を書き、相手に抗議の手紙も送る勝気な面からは想像もつかないようなハンディキャップを負っていました。

 

しかし、どの研究からも人々の役に立ちたいという想いが感じられます。

そして、実際に人々の役に立っています。

いや、役に立つという言葉では足りません。

私たちが伝染病に怯えずに暮らせるのはルイ・パスツールのおかげなのです。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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