エジソンはどんな人?何を発明したの?どんな子供だった?年表も紹介!

偉大なる発明王トーマス・アルバ・エジソンは白熱電球を発明したことで有名ですね。

他にはどんな発明をしたのでしょうか?

また、どんな子供だったのでしょうか?

・エジソンはどんな人?

・エジソンは何を発明したの?

・エジソンはどんな子供だったの?

・エジソンの才能を伸ばした母の教育とは?

・エジソンの年表は?


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エジソンはどんな人?

アメリカの発明家です。生涯で1300もの発明品を残しました。

白熱電球だけではなく、蓄音機や映写機など現在の生活に欠かせない発明品をたくさん残している人です。

また、発電所や電灯会社をつくり、電気の普及に貢献しました。

エジソンの名言、天才とは?

 

天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。-トーマス・エジソン-

 

エジソンの名言として有名なこの言葉は「努力が大事」と受け取られていますが、本当は以下のような意味だったようです。

 

「私は1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると言ったのだ。なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」

引用:news-act.com

 

1%のひらめきの答えはもしかしたらエジソンが残した言葉に隠されているかもしれません。

 

「列車がデトロイトに着くと、わたしは図書館へ向かった。そして、デトロイトの図書館の、一番下のたなの、最初の本から一冊ずつ全部読んだ。読んだのは2、3冊ではない。わたしは図書館全部を読んだ。」引用:学習まんが人物館エジソン

これはエジソンが15歳の時にグランド・トランク鉄道で売り子をしていた頃、列車が終点についてから再びポートヒューロンに出発するまでに何時間もありました。その間にエジソンは図書館で本を読んで過ごしていました。

 

1%のひらめきはこうした知識から生まれたものだったのでしょうね。

だからこそ、1600回うまくいかなくても諦めることはなかったのかもしれません。

 

また、エジソンの名言にこんな言葉があります。

 

ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。

勝負はそこからだというのに。

引用:iyashitour.com

 

エジソンは何を発明したの?

エジソンの発明は1300点にもおよびました。

中でも有名な発明品は「蓄音機」「白熱電球」「キネトスコープ」です。順に説明しますね。

エジソンが蓄音機を発明したのは西暦何年?

1877年です。

エジソンは電気によって録音した音を再生することができる装置を作りました。それが蓄音機です。

エジソンが最初に蓄音機に録音したのはどんな曲?

世界的に有名な童謡「メリーさんの羊」です。

こちらでその時のエジソンの声が聴けます。

 

エジソンが電球を発明したのはいつ?

1879年です。

正確には電球を発明したのはジョゼフ・スワンというイングランドの物理学者です。

しかし、長持ちしないことから実用化がされていませんでした。

そのため人々はおもに油を使ったランプの光で暮らしていました。

エジソンは長時間使える実用的な白熱電球の開発をしたのが1879年になります。

エジソンは電球をどうやって開発したの?

ジョゼフ・スワンの発明により電気で真空のガラス管の中のフィラメント(導線)が光を放つことは分かっていましたが、熱でフィラメントが切れて長持ちしないという問題点がありました。

そこでエジソンは高温に長時間耐えらえるフィラメントを1600回以上もの実験により木綿を炭化させたものなら可能であることを発見し、その後も600種類以上の植物を調査した結果京都の竹を炭化させたフィラメントが長持ちすることを発見します。

その電球は1000時間以上の点灯記録をつくりました。

しかし、ジョセフ・スワンが特許を持っているため販売することができず、1883 年ジョセフ・スワンと共同で電灯会社を設立し、電球を販売します。

エジソンはどんな子供だった?

アメリカのオハイオ州で生まれたました。家庭は貧しくも裕福でもありませんでした。

屋根板を作る仕事をしていた父サムエル、中学校の先生をしていたことがある母ナンシー、エジソンは7番目の末っ子でした。

とても知りたがりで小学校に入学しても先生に質問ばかりして担任の先生から「君の頭は腐っている」と言われてしまい、3か月で中退します。

この時母ナンシーは学校まで出向き、質問に答えるのが教師としての役目だと主張し、それから母が個人授業を行うことになるのです。

この時何よりエジソンが感じたことは母からの信頼です。そして、その信頼にふさわしい人間になろうと心に誓うのです。

エジソンの母の教育は?

エジソンの母親の教育はさまざまな本を読ませることでした。

中でも『自然実験哲学』という科学実験を図入りで紹介した本がお気に入りでした。

エジソンは地下室で実際にその実験を試してみました。

それを自由にやらせてあげる環境がエジソンの才能を伸ばしました。

 

こうして三年が経った頃にはお母さんが彼に教えてあげれることがなくなってしまいました。

化学や電気の知識はすでにエジソンの方がはるかに進んでいました。

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エジソンはどうやって電信を覚えたの?

12歳になったエジソンは化学や電気の実験をするお金を稼ぐために、鉄道の新聞売り子になりました。

その頃の一家はポートヒューロンとデトロイトの間を一日一往復する汽車に乗り込んで社内で新聞や雑誌を売っていました。

列車の中に印刷機を持ち込んだエジソンは自分で地方のニュースの記事を書いて印刷した新聞を売っていました。

15歳のエジソンが作ったこの新聞はたいへん珍しがられ、当時世界一の新聞『ロンドン・タイムス』でも大きく紹介されました。

 

電信好きだったエジソンはある日、二歳になる子が列車にひかれかかったのを助けます。

たまたまマッケンジー駅長の息子だったために、駅長は感謝して彼に電信技術の訓練を受けさせてくれたのです。

 

こうして電信技師になり、16歳の年から四年間18、アメリカの中西部地方をまわり、夜働いて、昼間は本を読んだり、実験したりする生活をしていました。

エジソンの年表は?

1847年

2月11日、アメリカ、オハイオ州ミランに生まれる。

1854年(7歳)

7月、ヒューロン湖のそばミシガン州ポートヒューロンに引っ越す。

1855年(8歳)

小学校に入学する。3ヶ月後に学校をやめて、母と家で勉強を始める。

1859年(12歳)

グランド・トランク鉄道で新聞を売り始める。

汽車の中に実験室を作り、化学の実験をする。

1862年(15歳)

自分で作った新聞『ザ・ウィークリー・ヘラルド』を汽車の中で売り出す。

マウント・クレメンス駅で、列車にひかれそうになった駅長の子供を助ける。

お礼に電信技術を教わる。

1864年(17歳)

カナダのストラットフォード駅の夜間電信技師になる。

1868年(21歳)

ボストンの電信局で、電信技師として働く。

1869年(22歳)

1月、電気式投票記録機を発明して、初めて特許を取る。

ニューヨークへ行き、金相場表示会社で働く。

10月、友人のポープといっしょに会社を作り、ゴールド・プリンターを発明する。

1871年(24歳)

独立して、ニュージャージー州ニューアークに工場を建てる。

ユニバーサル・プリンター、レミントン式タイプライターを発明する。

母ナンシーがなくなる。メアリー・スチルウェルと結婚する。

1876年(29歳)

ニュージャージー州メンロパークに新しい研究所を建てる。

1877年(30歳)

電話の炭素送話器を発明する。

12月6日、蓄音機を発明する。ホワイトハウスへ招待され、ヘイズ大統領の前で蓄音機を披露する。

1878年(31歳)

電灯の研究を始める。

1879年(32歳)

10月21日、炭素フィラメントを使った電灯を発明する。

1880年(33歳)

ソケットやスイッチなど電灯や発電に関する器具を発明して次々に特許を取る。

電車の研究を始める。飛行機の実験に失敗する。

1882年(35歳)

ロンドンとニューヨークに世界で初めての発電所を作る。

1883年(36歳)

電球のフィラメントから電子が飛び出す現象、『エジソン効果』を発見する。

1884年(37歳)

メアリー夫人が亡くなる。

1885年(38歳)

無線通信の特許をとる。

1886年(39歳)

ミーナ・ミラーと再婚する。

1887年(40歳)

ウエスト・オレンジに研究所をうつす。円盤式蓄音機を発明する。

1889年(42歳)

キネトスコープとキネトグラフ(撮影機)を発明する。パリの万国博覧会で今までの発明品が多数展示される。

1894年(47歳)

映写機を発明する。研究所に世界で初めての撮影所を作る。家庭用の映写機を売り出す。

1896年(49歳)

このころヘンリー・フォードと知り合う。

1898年(51歳)

コンクリートを使った家の作り方を発明する。

1909年(62歳)

エジソン蓄電池(アルカリ蓄電池)を発明する。

1913年(66歳)

キネトスコープと蓄音機を組み合わせた『キネトホン』を発明する。

1929年(82歳)

ゴールデンロッドという植物からゴムをとることに成功する。

10月21日、電灯発明50周年記念祭がミシガン州ディアボーンで開かれる。フォードがメンロパーク研究所と同じものを作り、記念祭に合わせてエジソンに披露する。

1031年(84歳)

10月18日、グレモントの自宅で亡くなる。

まとめ

いかがでしたか?

若い時のエジソンは一日数時間しか眠らず、あとの時間は全て研究に捧げていました。

折れない心はどうやって作られたのでしょうか?

常に成功した時のイメージが頭にあったのかもしれませんね。

また、挑戦を楽しむゆとりもあったのかもしれません。

 

エジソンは「すべての人に喜んでもらえるような発明でなければ意味がない」と人々のニーズに合う発明を考えていました。

 

時代に必要とされていることを察知し、臨機応変に応えていく思想はこれからのAI時代を生き抜く子供たちに必要な能力かもしれません。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

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